会議録はいつもPM?分担ロジックを見直すときかもしれない
デフォルトになっている議事録の書き手
多くの職場でよくある光景:
「会議のたびに、議事録は結局PMが書く。」
明確な決まりがあるわけでもない。会議が本当にPMの意思決定責任と関係あるかどうかも関係なく、誰も指定しなければ、なぜかその役割が自然と誰かにのしかかる。そして、その「誰か」とは、たいていPMか、チーム内で一番若手、または「文句を言わなさそう」なメンバーだったりする。
文化によっては事情が異なる場合もある。たとえば、日韓の企業では、議事録は秘書や事務職が担うことが多い。彼らが「業務支援役」として制度的に位置付けられているからだ。
でも、多くの人にとってこれは「大したことない」こととして片付けられている。
背後にある職場の分担ロジック
でも、この現象の奥には、ある種のロジックが潜んでいる:
- 議事録は「本業」じゃない → 多くのリソースを割く必要はない
- 時給が安い人・肩書きが軽い人・文句を言わなそうな人がやるべき
- 誰かがやらなきゃいけないなら、抵抗の少ない人がやるのが自然
一見、合理的なように見える。
でも実際には、議事録だけでなく、会議室の予約、昼食の手配、資料の印刷など「誰かがやらなきゃいけない仕事」すべてが、その“議事録係”に集まってくる傾向がある。
これは「仕事ができる・できない」や「リーダーシップの有無」以前に、役割分担の初期設計や文化によるものだ。
そして、こういう文化で、本当に「当事者意識のある人」を育てられるだろうか?
なぜ議事録が必要なのか、改めて考える
ここで立ち返りたい。
そもそも、なぜ私たちは議事録を残すのだろう?
よくある理由としては:
- 参加できなかった人に内容を共有するため
- アクションアイテムの進捗を追跡するため
- 数週間・数ヶ月後に背景を振り返るため
もしこれらの目的が本質だとすれば——
その情報の精度はかなり高くなければいけない。
つまり、議事録とは「文字を打つ」ことではなく、「翻訳し、理解し、共通認識を構築する」ことに他ならない。
そう考えたとき、「このトピックを一番理解していない人」にその作業を任せるのは、本当に正しい選択なのだろうか? それとも、「どうせ読まれないなら、最初から作らない方がマシ」なのだろうか?
議事録は「誰が書くか」より「誰が設計するか」
議事録とは、会議の背景や議論の文脈を最も理解し、その後の価値を見据えられる人がリードして、内容や形式を設計すべきだ。
- 技術ディスカッションなら技術担当がリードすべき
例:PulumiとTerraformの使い分けを議論する会議で、新卒の非エンジニア系PMが議論の細部を記録するのは、少々酷ではないか? - デザインミーティングならデザイナーがまとめ役になるべき
例:赤色の意味やビジュアル言語の話をしているのに、デザイン文脈に疎いエンジニアPMが「なんか赤の方が良さそう」とだけ記録するのでは意味がない - 複数部門の連携やプロダクト方針に関わる議題なら、PMが担当するのが妥当だ
なぜなら、PMは各部門の役割・方向性がズレていないかを確認し、全体の認識を合わせる責任があるから
「でも、その人たちが書きたくないと言ったら?」
これはよくある現実。
情報量の多いキーパーソンほど忙しく、記録を書く時間も意欲もない。会議中にメモを取っていたら、集中して話を聞けないことすらある。
でも、それこそがテクノロジーとAIの出番だ。
- Google Docのようなクラウド共著ツールを使えば、話していない人がその場で追記したり、会議前に要点を事前記入することで、リアルタイムで負担を分散できる。
- 生成系AIツール(例:Otter.aiやFireflies.ai)を使えば、録音から自動で文字起こし・要約を生成し、あとから修正・確認することができる。
ただし注意点として、「AIによる要約」だけで十分かというと、そうではない。
議事録は「合意形成」や「暗黙の期待値」を含むコミュニケーションの一部であり、責任や文脈を正しく伝えるには、やはり人の判断が不可欠だ。
「誰がやるか」より「どうやるか」にフォーカスしよう
PMが全ての議事録を書くことに疑問を持つ必要はない。
ローテーション制にしてもいいし、インターンや事務サポートに委ねてもいい。
でも、重要なのは:
私たちが「どうやってやるか」を決めることが、組織文化そのものを作るということ。
役職や時給だけで分担するのではなく、以下のような観点をもとに柔軟に設計すべきだ:
- 関心度・当事者意識
- 理解度・背景知識
- 技術的/AI的な補助の有無
✅ 実践的な改善案(例)
- 「議題オーナー」制度の導入:議題ごとに主担当を明確にし、その人が内容をレビュー・補足する体制をつくる
- AI+人のハイブリッド運用:AIによる録音・下書き後、人が要点を整える
- 文化のアップデート:「議事録=雑務」ではなく「共通理解を残す行為」であるという共通認識を醸成する
最後に
議事録とは、「私たちが何を記録に残したいか」という集団の意思表明だ。
その出発点を、もっと柔軟に、そして誠実に選び直してもいいのではないだろうか。